スナフキン会計士

今までの人生経験を徒然なるままに書き記します

やりたい事が無いということの意味

前回の記事では好きな事をやろう!!好きな事を探す手段の一つが転職ならば、好きな仕事が見つかるまですれば良いじゃないかと書いた。


上記の主張に対して、そもそも、やりたい事が見つからない、何が好きな事か分からないという反対意見をよく聞く。この意見に対して、反論する気は無い。かくいう私もアサラーからアラフォーへの移行期に差し掛かり、これからの人生、どうやって生きていくか悩み、本当に自分がやりたい事が何なのか暗中模索状態だからである。


しかし、一つだけ皆さんと異なる事がある。それは、やりたい事が見つからないがゆえに支払っている代償に意識が向いている事である。その代償とは、自分の人生に他人の夢が入り込んでくること、自分の人生を他人の夢のために使わなければならなくなるという事である。企業の機能には、創業者の夢を叶えるという事も含まれている。スティーブ・ジョブズのアップルしかりウォルト・ディズニーのディズニーランド然りである。自分の人生に自分の夢がある人には、他人の夢が入り込む余地などなく、したがって、就職する必要などない。例えば、プロになってワールドカップで活躍するという夢があった本田圭佑にとって就職という選択肢が不要だったように。


やりたい事が見つからないがゆえに、他人の夢のために生きてることをもっと真剣に捉えよう。私は自分のために自分に与えられた一生という時間を使いたいから、自分がやりたい事を探し続ける!


【本日の主張】

自分にやりたい事が無いと、自分の人生に他人の夢が入り込んでしまう!それでも良いのか??